KEY TO SURVIVE STRONG COFFEE

一瞬は、一生。

小林さん

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小林さん。

 

私が小さい頃からすぐそばにいたご近所さん。

今は友達。

いつも大きいハスキー犬を連れていた。

 

旦那さんが亡くなって10年以上が経った。

 

小林さんは一人暮らしとなった。

 

後に、私のお母さんが亡くなった。

小林さんが色々サポートしてくれていた

 

私は帰国後しばらくしてから

美術に興味を持つようになって、

そのきっかけは小林さんだったに違いない。

 

初めてふたりで行ったのはサントリー美術館

葛飾北斎の展示会だった

 

その後、コロナになって。

小林さんがいつも遊び相手になってくれた。

私が遊んでいたのではなく、

あの関係は間違いなく、私が遊んでもらっていた。

ステイホームの辛い時期に小林さんはいつもいてくれたように思う。

 

私の危なっかしい運転にも怖気づかず、勇敢に助手席にいたもんだ

ふたりで週に一度はスーパーに行って、お茶して、ランチもたまに行って

ああ、楽しい2年間だったな。

週一で遊んでたなんて、すっかり忘れていた。

 

それから私は一人暮らしをした。

半年に一度くらいは、美術館で落ち合った。

行きつけのレストランまであったくらいだ。

 

結婚して、私は名古屋に行き

会う頻度はそこからいっきに少なくなった。

 

小林さんは庭がとても立派で、

たくさんの種類の花を育てていた。

月に一度は写真が大量に送られてくる。

私は最初こそ、丁寧に返信をしていたけど

小林さんからの返信はないので笑

スタンプだけの返しとなった。

それでも、本当に…何十種類もの

大輪の花を…何百枚と…

すごく送ってくれた。

 

私は毎回少しのコメントと、スタンプで返していた。

 

丁寧に見ていたわけではないけど、全ての写真に目を通していた。

それは、ありがたいなぁと深く思うわけではないけれど、今日も小林さんは元気でよかったなあ、くらいにやんわり感じていた。

 

そして去年。

東京の美術館に一緒に行ったのが、小林さんと会った最後。

 

2月に一度弾丸で実家に帰ったけれど、

夜中到着、朝出発という

とても忙しないスケジュールだったため、

小林さんのとこに顔は出さなかった。

小林さんから、会いたかったなとメールがきて、少しごめんねと思った。

 

後日、小林さんから

家の相続の話が詳しくきた。

「本当に相続しますか?」と。

あ、もう一度考え直してみようかな。

そう思い、よく現状と鑑みて

少し相続の話は延期したいと伝えた。

 

その後、手続きを済ませたとメールがあった。

胆管癌だ、という報告と共に。

 

私は小林さんが腹を割った話をしてくれないことに少し苛立ちに似た不信感のようなものを抱いていた。

でも小林さんは、焦っていたのだ。

生きてる時間がもうないと。

 

その心境を汲んで承諾しようと決めた

 

「話し合いたいから、こっちにくるとき会おう」と小林さんからのラインの直後、

小林さんは入院から帰ってきていないそうだ。

 

私は1週間、遅かった。

見舞いにいけないかというラインは

ずっと既読にならないままだ。

 

 

スタンプ返し

 

会えなかったこと

 

家と土地の相続の話し合い

 

 

どうして、人間って

これが最後だなんて絶対にない、と思ってしまうのだろう。

 

いったい、何が一番後悔してるだろう。

 

 

今日小林さんの家の前を見て、

ものすごい衝撃を受けた。

 

あの花々たちが、ひとつもなかったからだ。

ローズマリーの枝一つでさえ。

防草シートまで貼ってあったのだ。

業者に頼んだんだろうか

 

金魚草も、一緒にうえたチューリップも、豪華なバラたちも、裏庭の立派なトマトも、

なにひとつなかった。

 

そこには雑草だけが寂しく残っていた。

 

絶対に庭を見に行こうと決めていたのに。

 

 

小林さんは奈良や京都に行っては仏像をたくさん見ては悟りを開いていた。

もうずいぶん達観しているらしい。

 

死ぬことを受け入れるということは、

生きたいと願うことなんじゃないの?

ねえ小川糸先生。

 

こんなに綺麗に終わらせようとしてるなんて、

そんなのアリなの?

 

寂しいんじゃないか、あまりにも。

なんて綺麗な人なんだ。

 

小林さん。

 

小林さん。

 

いつもたくさんの花を仏壇にありがとう

たくさんの写真も、

コロナの時間も、

買い物したあとのお茶も、

クリスマスパーティーだってやったよね、

またゴッホの企画展が…あるんだよ…

一緒に行こうって…

言おうと思って…今回帰ってきたんだよ………

 

あ、まだ生きてるがな

 

 

週末までに、面会できたら…

 

 

もう一度だけでいいからお話しよう。

小林さん。

 

 

そう。

 

きっと、帰ってくる。

あの家を見てショックを受けすぎて、

もう還らぬ人にしてしまった。

 

 

うん。会おうね、小林さん。

 

 

 

 

 

 

 

結局戻るという。

noteやってみたけどやっぱやめた…

自分だけ満足して見てればいいかなあって…

数年後に見返すためにつけてる日記

そして最近は書く内容もトントなく

毎日平和で草生えそう

 

かけもちのバイト先も、半年経ってようやく

慣れてきたかもしれないなと思えるようになった。遅い。

でも、やめようか悩んでいたからなー

このまま猛暑が抜けるまでは頑張れそう。

 

たぶん。

 

最近、読書仲間が三人増えて

私は嬉しい!

 

いろんな著者を教えてもらってる。

もうすぐ400冊読破になるけど

これって多いのか少ないのかわからないなあ。

あんまり多くはないんだろうな。

 

もうすぐ愛知の生活も終わる。

降り注ぐような緑がたくさんある生活。

海も山も、岐阜も、すぐそこにある生活。

地方暮らしってやっぱいいなと思った。

そしてこのまま夫とずっと二人でいい。

そう心から思えるようにもなった。

 

でも、私達は元の場所に戻る

忙しい毎日になる

 

本当に、今を大切にしないとなあ

夫の扶養からぬけたいまる。

不妊治療を始めておおよそ一年が経とうとしている。

排卵もしっかりしていて、精子の状態もすこぶる良いのに、まったく出来ない。

出来る気もしない。

年齢のせい、相性のせい、それぞれ理由はあるだろうけど、そんなんどうしようもない。

体外受精は金がないからやる選択にない。

 

私は最近、子供は授かれない人生を歩むことを決断しようとしている。

つまり、治療をやめるということだ。

夫には申し訳ないけど、私はもう諦めたい。

ていうか、もういいかなって言ってるのだけど

まだやめるのは早いよ、って止められて

今も通い続けてるだけなんだが。

このまま年齢が上がれば胎児に色んなリスクが増える。

それがこわい。

 

「君から一度も、子供が欲しいって聞いたことない」

って夫に言われた。

 

だって…欲しくないんだ。

仕事を辞めた人がやることといえば、出産しかないのかなって。それだけなんだ。

それも出来ないならもう仕事に戻りたいよ。

私の周り人たちが年齢的にもう40代くらいだから、人生の答え合わせにたどり着きはじめたんだ。みんな辛い時期を超えてやりたいことを叶える。立派になっていく。

それを羨ましいと強く思ってしまって、

扶養内から抜け出すことが許されない今が

ぬるくて、情けなくて、少し辛いんだ。

 

正社員で働いてたときは、独立には興味なかった。たぶん、その時の役割なんかが私をプッシュアップさせてたんだろうし、それなりに忙しくやれて、それなりに誇りがあったのかもしれない。

 

私は2年のブランクがあるけど、まだ間に合うかな。何か、少しでも良いから自分なりに納得のいくことをやれたらいいな。

 

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I don’t need a camera to capture this monent

最近、食の嗜好が変わってきた。

昔はあまり口にしなかった、

芋系や栗のスイーツや、チーズがたまらん好きになってしまった。

昔大好きだった揚げ物は、カラダに勢いがないと食べる気がしない。

 

食だけじゃなく、化粧品や美容品はほぼ薬局の安物で済ませているし、服もユニクロのセールで足す程度。要するに金がない。

 

夫の影響も意外に大きい。

ゴマフアザラシみたいな肌だ、と言われたら

レーザー治療を受けたし、

太ったね??って言われたら

4キロの減量をなんとか終えたし、

タバコだってやめてやったさ。

いや、やめたというより禁煙…かなあ。

ババアになったらまた吸ってやる。

私飲酒をしないから、手っ取り早い逃げ道がない。まだまだ吸いたい意欲あるまる。

 

ちなみにレーザー治療は人生で1番良かった選択です。10万かかったけど本当にやってよかった。

 

と、いつも書いてること同じな気がするけど、

変わってるようで

変わってないです。

 

だがしかし!

私は最近、とっても寂しい。

淋しい。としか、言いようがない。

それ以外の感情はない。

 

完全な独断と偏見で言わせてもらうと。

 

名古屋人というのは。

人懐こくて、穏やかで、「安定」していて、真面目。

何かをコツコツ取り組むことが得意な人が多いらしい。

そして、漏れなくおしゃべりが大好き。

ただ、そのおしゃべりは…抑揚がなく

すーっと、水平線のようにただ続くだけなのだ。

パンチラインを効かせたい私の性格にはやはり合わず。

でもやはり「良い人」は多い。

 

愛知県とは。

自然が溢れていて、名古屋周辺も若い人がたくさんいて活気があるし、ガチ多国籍メシや、どこかのチャンピオンの名店、みたいなところもたくさんあって楽しい。

バスでわりとどこでもいけるし、季節の花が見たかったらおあつらえ向きの公園がいくつもある。

家の近くには、筆舌に尽くし難いほどのうまい焼き菓子店もある。

夜は静かで、人も多くない。

水道水も美味しいね。

やはり財政が潤ってるのか、市は検診推進事業をしているおかげで、感染症やほとんどの癌検診を無償で受けることができた。

前会社は健康診断さえなかった故に、こっちに来てから健康状態を知った。

そしてもう36になるというのに、私の身体は澄み渡る青空のように、どこまでも健康だった。

むしろ忌々しいというか…おぞましい。

 

良いところだよ。間違いなく。

住みやすいよ、間違いなく。

私のストレスもほぼないよ。

 

だけども、私はトモダチに会いたくなった。

バカ話はおろか、真面目な話すら誰とも出来なくて、やっぱり寂しい。夫だけ。

そんな当たり前のことが全くできなくなってしまって、一年半。

 

誰からの連絡も全くない。

「名古屋に遊び行くね」とたくさんの人に言われたが、もちろん誰もこない。

 

当然だ。人にはそれぞれ人生がある。

遠くに行った人間なんて忘れたほうがマシだ。

そしてこういう時に、マジできてくれるほどの深い関係の友達はいない。

 

すぐ来てくれたのは、姉だけだ。

超めんどくさかったけど笑

感謝しないといけないね。

 

あとは父か…あのジッジは夫に会いたいだけだろうけど…。

2人が仲良くて私は嬉しい。

義母も来てくれたな。

やはり家族は大切にしないといけないなぁ。

 

関東に帰ったら何か変わるのかな。

 

 

何もない。何もうまくなれない、何も得られない。

36歳になりました。

初老まであと4年。どうにも嬉しくはないです。

 

最近何もなさすぎて、人生あがりなのかなぁと思うことがあります。

私は名古屋に来てとにかく毎日が暇。

とはいえ、なかなか重たい腰が上がらず

結局何も成し遂げていない。

 

「英語の勉強しよう」「パソコンの勉強やろう」

そして勉強しっぱなし。教材を一通りやって、

資格取得はイイかなーって、やらない。

あほ。

 

車は運転の練習を何度かしたけど

助手席の旦那があまりにも厳しすぎるため、

脇汗がとまらなくなり

最終的に「下手くそすぎ」って

二回言われたので、

あまりにも自分が情けなく泣いて拗ねました。

実家でぶんぶん運転してたのが嘘のようです。

簡単な道しか走ったことなかったのもあり

やっぱ運転は苦手だなぁと再認識しました。

練習するのもやめて、

北海道旅行はほとんど旦那が運転して

正直あんま楽しくなかった。車中泊もしんどかった。多活動膀胱炎きついです。

 

運転はもうしない、って諦めた。

車が傷つくくらいなら、今後の人生でもう運転席に乗ることはないだろう。

 

バイトは店長が人員を増やしすぎて

とにかくシフトに入れないのが辛い。

単発バイトにも頼ろうと思い

登録してみたけど、まあ驚いた。

全然求人がない。

おっいいじゃんこれ、ってやつは

車がないといけなかったり2時間電車とか…

これが地方の現実………

 

金がない。正直職場を変えたい。

店長はいつも寝てる。だらしない。

 

子作りがんばろーって言って一年が経った。

ぜんぜんできない。

私達の卵はとくに問題はないけども。

人工授精という、

あまり意味のないことをとりあえずやってみる。

そしてできない。痛くてもうやめたい。

金が減るだけ。

もうできる気がしないから不妊治療もやめたい。

 

それより仕事が欲しい。

なんで扶養に入ってしまったんだろう。

一年半前の自分に後悔。

反対を強く押し返して、就職すればよかった。

治療があるから、急な早退や遅延が

自由にきく今の職場は大変ありがたいので

なかなかにやめられない。

 

自由にきくというか、人が多すぎて

簡単に了承してくれるというだけで、

治療については話してないけども。

 

犬や猫もほしい。動物は大好きだ。

動物のためなら働きたいと思う。

でも6月でやめると言ったボランティアは

まだ頼まれて行ってる…ぐぬぬ

 

家も欲しい。旦那さんが主任になったら

買おうねと言っている。

 

 

そう。

 

子供、家、ペット、仕事、資格。

 

全部ないです。

ちなみに友達もいないです。

 

36歳にして。欲しいと言ってるだけ。

 

旦那さんに頼らないともう生きていけない人生になってる。

 

本当にほしいものはなんだろう。

私って毎日何がしたいんだろう。

ボヤーっとSNSにぬらぬらと時間を溶かす。

 

そんなとき、昔の同僚の投稿を見た。

 

「夫婦で店をやります」

 

その人は年下の女性でとても素敵な人だった。

旦那さんも知ってる。

二人は札幌から東京にきて、二人で札幌に戻った。

 

程なくして式をあげ、家を買い、犬を飼い、子供を産み、仕事をし、そして起業した。

 

私がないもの全てある!!!!!!!

 

こっ!これがSNSマジックかぁ!!!!

 

あ、ちなみに私は結婚式どころか

写真撮りすらしてない。

まぁ、ちょっとしたかったけど。

金なかったので。うん。

 

それも含め全てあるひと!!!!

 

地元愛もあって戻るっていうのもすごく羨ましい。

 

いやーーーーすごいなぁ………

すごいよ…同業者だからなんとなくわかるけど

このご時世で飲食の起業って結構覚悟や勇気もいるしね…

拍手喝采ですね。

ふたりにすぐに会いに行きたいくらいです。

これに嫉妬の感情はないと信じたい。

 

ただぁ!!!

起業は、やっぱ人の憧れそのもの!!

 

私は仕事に心血を注ぎたいのかなぁ。

仕事人間じゃないんだけどね。

仕事でやりたいことなんてなくてもいい、

できることをしっかりやりたい。

お金欲しい。

 

出産の報告もちょいちょいあるけど、

特に感情は揺れない…

ほおんおめでと、って言ってる。

子供が欲しいという気持ちが足りないから、

私達には祈りが足りないから、

きっとできないんだろうな。

 

しかし起業の話は奥歯を噛み締めるくらい羨ましい。

資本金もキャリアもない私は最初から諦めてるけども。

 

そういったわけで、もう人生あがりです。

ワーホリ終わった時点で、あがったな。

って感覚がずっとあるけど、今その感情がピークである。

 

こんな旦那さんに色々してもらって贅沢な話だけど、それはイコール幸せではないのかもしれない。

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齢35になるのに、きちんと対応できず深い自己嫌悪へ。

お隣さんが、朝8時にチャイムを鳴らしてきた。

 

夫婦と小学四年生の男の子、3人で、

引越しの挨拶にきてくれた。

今から作業に入ります、よろしくお願いします。と、ダイソーの引越しタオルではなく、

どこかの立派なお菓子をいただいた。

 

寝起き3分後だった私は頭も髪の毛も顔も、

すべてがぼやっとしていた。

まぁご丁寧にありがとうございます、のむらです…と一通り、人間としてのやりとりを終えた後、

もじもじ地面を見つめる男の子に、

こんにちは、お名前は?

と、優しくきいた。

もじもじと答えてくれた。

そこまではよかった。

 

私はその後、

 

奥様のお名前は?

 

と。

むちゃくちゃどうでもいいことを口走ってしまっていた。

 

発したあとに「なんで奥さんの名前とか…個人情報を無意味に知ろうとしてるんだろう…私、怖いやつじゃん…」と、すぐに気付き、こりゃいかん!ってなったけど

奥様はスラリと名乗ってくれたので、すぐに自分も名乗った。

 

ああ。寝起きだと何もかもよくない。

どこから来たんだろう。それを聞けばよかった。

なんて、もう手遅れなことをぼんやり考えていた。

 

たぶん、この瞬間に野村家は嫌われた。

 

そして肝心のうちの主である旦那は

その後「お隣さん?」と、のそのそ起きてきた。

 

寝起きで対応したこと、お菓子もらったことなど話すと、奴は

「引越しの挨拶し慣れてるかんじだね。

作業前に挨拶したかったから、時間が早くても来たんだろう」

と、さも「それがジョーシキだぜ」顔で言ってきた。

 

この口だけ達者の主は、こういうところはすごくコミュ障だなっていつも思う。

正直めちゃくちゃ腹立つ。うん。嫌い。

 

だって、お隣の挨拶に行ったことなんて、この人人生で一度もないんだぜ。

 

そのくせ、「きみが行ってきて」と言い、自分はぜっっっったいに行かないのだ。

私だけ挨拶回りしましたよ、ええ。バカみたい。

 

飲食店に入るときも、必ず私を先に行かせようとする。ドアを開けさせる。

ちょっと不安なことがあると、すぐ逃げるのだ。

だから最近は行ってやらない。むかつくから。

 

それで「どうだった?」って聞いてくる。

今後、人生において嫌な役回りは私に押し付けてくる典型的な男になるのであろう。

というかもうなってる。

 

今朝だって、起きてるのにきてくれなかった。

 

そして私はただやらかしただけ。

旦那、君の奥さんがこんなんだから

君は会ってもないのに嫌われたぜ?

これはある意味自己責任だよ?フッ

 

 

夕方、バイトから戻ると

お隣さんのご主人と一瞬、微妙に近いようで遠い距離ですれ違った。

 

〜脳内会議〜

 

(今朝私が余計なことを言ったからおそらくもう嫌われたし、挨拶だけにしよう…)

 

(いや、お菓子ありがとうございますって、明るく伝えた方がいいのでは…)

 

(今朝からの今ダヨ?え、さっき会ったジャン!ってなるよ。やめたほうがいい)

 

が、せめぎ合い葛藤の末

 

結局、ウルトラライト挨拶だけに済ませた。

 

そして、ああ、今朝の失態を謝ればよかったかもしれないな…

なかなかすれ違うこともないし…

と、また自己嫌悪ループに突入したのであった。

 

まぁ、つまり

私がいちばん対人関係うまくない。

 

職場で苦手な同世代の女性から

遊びの誘いがしつこくて、

どうやったらすんなり断れるかなぁと

試行錯誤してる日々です。

 

もう遊ぶ気ないの、気付いて欲しい…

 

人と向き合い、付き合っていくのって難しい。

たまに人間をやめたくなる。

 

私と彼女とSNS

私は7年前、人生で1、2を争うほどの

「自己肯定感爆下がり期」があった。

 

ワーホリから帰ってきた後。

せっかくなので英語関係の仕事を探してみようと発起したものの、大学に出ていないので難しく。方向性も就職先もなかなか決まらず、迷走期に入った頃に母があれよあれよと死んだ。

「やっぱもう一回東京行きたいな〜少しだけバイトして金貯めて出るかあ。」

なんて良い歳してノンキなことを思い、

(これが後にポンコツな決断だとわかるのだけど)

近くのレストランに応募したわけで。

ホール業務なら一日で覚えられるし、

半年くらいでさっさと辞めちゃおう。

なんておもってたら

キッチンの経験あるならそっちにどうぞ、という流れに。

同時に、ゲストハウスのバイトも始めた。

思いがけず、英語欲はここで満足感を得られた。メールや会話がほぼ全て英語だったからだ。

 

レストランのキッチン業務は私の想像以上にキツかった。

ガチ勢揃い。しかも最初にぶち込まれたタスクが、牛すじ肉の筋取りだった。

そんなんできるか!

大したこともできないのに、謎にポジションを幅広く教えてもらい、朝から晩までそれなりに働いた。

 

そしてなんやかんやあり、私はシェフに呼び出される。

「きみってヤル気ないし、経験者っていうわりにミスも多いし、もういらん。ちゃんとやるかやめるかして」

「あ、やめます」と、クビになった。

 

私はしばらくとにかく落ち込んだ。泣いた。

アルバイトをクビになるという、全世界でもそんな羞恥な出来事は私しかいないのではないか?

とすら思えた。

私はバイトすらできない……無能…無価値…

 

そんなとき、とある友達にメールをした。

16歳年上の女性の友達だ。

当時、かれこれ8年来の付き合いになる。

 

彼女はガラケーだったので、Eメールでのやりとりだった。そのせいなのかいつも長くおセンチに打ってしまう。

彼女とは昔の職場で出会って、すぐに意気投合した。互いに製菓が趣味だった。かなりの頻度で遊んでいたし旅行も何回もした。

 

「料理のセンスないのにキッチンに入ってしまったから…用無しだと解雇されたよ…とほほ。就活します」

 

みたいな文言で送ったんだったと思う。

そしたらこんな返事が来た。

 

「なほちゃんはね、料理のセンスないよ。

そもそも、なんでフリーターやってるの?

ワーホリ行って英語勉強してきたんじゃないの?ていうか、英語学ぶならワーホリじゃなくてもよかったよね。

私は最初からワーホリは反対だった。

何しに行くんだろうって思ってた。

結局なほちゃん何がしたいの」

 

たぶんこんな感じのことを言われた。

思い返してもツラい。

たぶんここまで酷くないかもしれんけど、

なんなら最後はちょっと励ましの言葉くらい

あったと思うけど…。

 

そして私はこの時

過去最大級の心の大災害に見舞われていた。

自分で素直に「料理のセンスがない」と自己申告し、なんなら「解雇された」という恥ずかしい真実まで打ち明けたのに

追い討ちをかけるようにセンスがないと言われたことに対して、

キレちゃったんだすなぁ。

 

「センスないって、言われたし!!

いや知ってるし!私いま自分で言ったし!

追い討ちかけるなし!!」

 

と、返信ぽちっと。我慢できなかったんですよねー。

それから返信はなくなりました。

彼女とは、それで終わったのです。

 

というか、ワーホリに反対していたなんて、全然気付かなかった。

そのメールを見て、私と彼女はもうあの時から拗れていたんだなぁと知った。

8年間の間で、何回かトラブルはあった。

大体すべてが、私が気付かず、彼女だけが傷ついていたパターンなんだけども。

その度に、めんどくせぇなぁ。って思ってた。

それでも好きだったから、仕方なくではなく、関係を修復していきたかった。

彼女は言いづらいことをしっかり私に伝えてた。

だから今考えたら良い友達だったに違いない。

 

手放したのは私の方だった。

私は本当に全然生き方がうまくなくて。

すごく残念な大人になったな、と自分でも強く思う。余計に彼女の言葉が痛かった。

 

年金は全額納めてないし、フリーター期間も微妙に設けちゃってたし、目標も貯金も資格もない。うまく立ち回れないし、人から嫌われやすい。

 

彼女は、あの時すごくうまくいっていた。

だから私にたくさん叱りたくなったんだ。

 

彼女もバイト生活だったのが、どこもうまく続かなくて、落ち着いた先が派遣社員だった。

そこがハマったらしく、製菓の作業は、SNSを通じて個人での依頼にすると張り切っていた。

クリスマスケーキの予約一件入ったんだよ!

と、家にある古いオーブンで頑張っていた。

 

「お金をもらう=プロだから」と毎日意気込んでた。

スマホにも変えるし、インスタもやるって言ってた。

あれから7年経った今、彼女のインスタがおすすめにあがってきた。

 

フォロワー1600人超え…

 

?!?!

 

めっっちゃ腕あげてる!!!!!!!

 

 

すげぇ!おったまげーー!!

彼女は今も個人事業主として製菓を作り続けていた。なるほどこれは…私がいつも「おっアリガトー♩」と食べてたものとはレベルが違う。写真の数もフォロワーも段違いだった。

かなり鍛錬積んだなこれは。やるな…!

 

話し方は昔と同じだなぁと感じた。

自分のことをおじさんやジジイと呼んでおどけていたり。

(おばさんと認めたくないから虚勢張ってるんかなって勝手におもってる)←おばさんと誰かに言われたときは死ぬほどキレてたので。

 

彼女と喧嘩別れしたあと。

私はあれからすぐ就職した。

紆余曲折だったけど店長以上の管理職について、すごくいろんなことを経験して、楽しく仕事できた。

英語の仕事には就けなかったけど、毎日活きてるよ。

英語のメニューをどこの店舗に行っても必死で作って、みんなに教えて、今も対応は私がやるんだ。

もと同居人の家族にも去年会えたよ。

 

そう伝えたいけど、そんなの彼女にとっては何も響かない。

 

私が彼氏ができたとき、結婚するかもしれないし、というただの可能性を示唆しただけで

「えっそんなおばさんみたいなこと言わないで」

と否定され。

 

昔、ウェディングドレス着る着ない論争したとき、着ないかな〜ってぼやいたら

「えっそんなおばさんみたいなこと言わないで」と叱られ。

 

実際に私は結婚もしたしドレスも着ていないのだ。しかも、仕事をやめて扶養内バイトに勤しんでるのだ。

彼女の地雷を踏みまくりじゃないか。

今会ったとしてもキレられるのがオチだ。

 

もう、何もかも道が別れてしまったのを痛感した。

 

私は、この事件がなかったとしても、彼女とはいずれ別れていたと思う。

後悔はない。ただ、無念というか。

寂しいだけだ。

こんな長々書いて、寂しいだけとは

さすがにないだろう。じぶん。

 

虚空を見つめる…ような、

虚無の感覚というか。

うんまぁそんなかんじ。

 

ただ、あの頃を思い出した私は、

猛烈にお菓子が作りたくなった。

 

製菓は材料費がとにかくかかる。

しかも栄養にならないし、

たくさんできるから旦那と2人じゃ食べきれない。

 

そんなこんなで避けてきたけど、

やっぱり作らないとダメだな。と決めました。

 

私もインスタにケーキの写真を載せよう。

負けんぞ。

 

すでに完敗だけど。