
小林さん。
私が小さい頃からすぐそばにいたご近所さん。
今は友達。
いつも大きいハスキー犬を連れていた。
旦那さんが亡くなって10年以上が経った。
小林さんは一人暮らしとなった。
後に、私のお母さんが亡くなった。
小林さんが色々サポートしてくれていた
私は帰国後しばらくしてから
美術に興味を持つようになって、
そのきっかけは小林さんだったに違いない。
初めてふたりで行ったのはサントリー美術館
葛飾北斎の展示会だった
その後、コロナになって。
小林さんがいつも遊び相手になってくれた。
私が遊んでいたのではなく、
あの関係は間違いなく、私が遊んでもらっていた。
ステイホームの辛い時期に小林さんはいつもいてくれたように思う。
私の危なっかしい運転にも怖気づかず、勇敢に助手席にいたもんだ
ふたりで週に一度はスーパーに行って、お茶して、ランチもたまに行って
ああ、楽しい2年間だったな。
週一で遊んでたなんて、すっかり忘れていた。
それから私は一人暮らしをした。
半年に一度くらいは、美術館で落ち合った。
行きつけのレストランまであったくらいだ。
結婚して、私は名古屋に行き
会う頻度はそこからいっきに少なくなった。
小林さんは庭がとても立派で、
たくさんの種類の花を育てていた。
月に一度は写真が大量に送られてくる。
私は最初こそ、丁寧に返信をしていたけど
小林さんからの返信はないので笑
スタンプだけの返しとなった。
それでも、本当に…何十種類もの
大輪の花を…何百枚と…
すごく送ってくれた。
私は毎回少しのコメントと、スタンプで返していた。
丁寧に見ていたわけではないけど、全ての写真に目を通していた。
それは、ありがたいなぁと深く思うわけではないけれど、今日も小林さんは元気でよかったなあ、くらいにやんわり感じていた。
そして去年。
東京の美術館に一緒に行ったのが、小林さんと会った最後。
2月に一度弾丸で実家に帰ったけれど、
夜中到着、朝出発という
とても忙しないスケジュールだったため、
小林さんのとこに顔は出さなかった。
小林さんから、会いたかったなとメールがきて、少しごめんねと思った。
後日、小林さんから
家の相続の話が詳しくきた。
「本当に相続しますか?」と。
あ、もう一度考え直してみようかな。
そう思い、よく現状と鑑みて
少し相続の話は延期したいと伝えた。
その後、手続きを済ませたとメールがあった。
胆管癌だ、という報告と共に。
私は小林さんが腹を割った話をしてくれないことに少し苛立ちに似た不信感のようなものを抱いていた。
でも小林さんは、焦っていたのだ。
生きてる時間がもうないと。
その心境を汲んで承諾しようと決めた
「話し合いたいから、こっちにくるとき会おう」と小林さんからのラインの直後、
小林さんは入院から帰ってきていないそうだ。
私は1週間、遅かった。
見舞いにいけないかというラインは
ずっと既読にならないままだ。
スタンプ返し
会えなかったこと
家と土地の相続の話し合い
どうして、人間って
これが最後だなんて絶対にない、と思ってしまうのだろう。
いったい、何が一番後悔してるだろう。
今日小林さんの家の前を見て、
ものすごい衝撃を受けた。
あの花々たちが、ひとつもなかったからだ。
ローズマリーの枝一つでさえ。
防草シートまで貼ってあったのだ。
業者に頼んだんだろうか
金魚草も、一緒にうえたチューリップも、豪華なバラたちも、裏庭の立派なトマトも、
なにひとつなかった。
そこには雑草だけが寂しく残っていた。
絶対に庭を見に行こうと決めていたのに。
小林さんは奈良や京都に行っては仏像をたくさん見ては悟りを開いていた。
もうずいぶん達観しているらしい。
死ぬことを受け入れるということは、
生きたいと願うことなんじゃないの?
ねえ小川糸先生。
こんなに綺麗に終わらせようとしてるなんて、
そんなのアリなの?
寂しいんじゃないか、あまりにも。
なんて綺麗な人なんだ。
小林さん。
小林さん。
いつもたくさんの花を仏壇にありがとう
たくさんの写真も、
コロナの時間も、
買い物したあとのお茶も、
クリスマスパーティーだってやったよね、
またゴッホの企画展が…あるんだよ…
一緒に行こうって…
言おうと思って…今回帰ってきたんだよ………
あ、まだ生きてるがな
週末までに、面会できたら…
もう一度だけでいいからお話しよう。
小林さん。
そう。
きっと、帰ってくる。
あの家を見てショックを受けすぎて、
もう還らぬ人にしてしまった。
うん。会おうね、小林さん。

